「不調法者で、楽器の心得がございません」
 あの夏の日。祐巳はそう言って、「マリア様の心」を歌ったのだ。
 空のように星のように、変わらぬうつくしいものがあることを信じる気持ち。
 たった一人の孤独な魂に、それを届けるために。



 鋼独奏



「確かに。少し不調法かもしれないわね」
「え?」
 思わず祐巳は、手にしていたティーカップを取り落としそうになった。
 ある秋の放課後、薔薇の館にて、いくつかの書類を処理した後に、乃梨子ちゃんがお茶を淹れてくれて。
 遅れて到着した志摩子さんと由乃さんも交えて、あの「別荘地での顛末」に話が及んだのだ。 
 たぶん夏休み以来、何度目かの。
「あのときは本当に、祐巳を見直したわ」なんて、さんざ持ち上げてくださった祥子さまが、言葉を切って紅茶を一口含んだのち、吐かれた言葉がそれだったので。
「楽器のひとつくらい、できてもいいのではなくって?ということよ」
「はあ」
 けれど祥子さまは依然機嫌がよさそうで、そんな深い意図があっての発言ではないらしい。
「でも。そのときの様子を伺うかぎりでは、『マリア様の心のアカペラ』以上の正解はないのでは?」
 志摩子さんが穏やかにフォローしてくれた。
「もちろんそうよ。でもなにか楽器の演奏ができる、というのもなかなか便利なものだから」
 わずかに開けてある窓の方を向いて祥子さまが言う。便利、というのも祥子さま的なもの言いなのだろう。
 一般庶民たる祐巳のこれまでの人生で、楽器の演奏を要求されるような人付き合いというのは、記憶になかったから。
「あの・・・みなさんは、楽器がお出来になるのですか?」
 おずおずと右手をあげて乃梨子ちゃんが言った。そして答えを待たずに、
「ちなみに私は・・・できませんけど」
 ちらりと志摩子さんを見る。志摩子さんもその視線に気づいたらしく、「いいのよ」なんて微笑んでいる。
「志摩子さんとお姉さまは・・・ピアノが弾けるんでしたよね?ええっと、令さまは」
「令ちゃんもあれでね。鍵盤ものはちょっとだけいけるのよ。あと、バイオリン」
 指折りながらの祐巳の発言に、横に座っていた由乃さんがすまして答えた。「ええっ?」と祐巳が向き直ると、カップに唇をあてて苦笑した。
「といってもほんの初心者だけど。ずっと昔ね、令ちゃんが私に言わずにバイオリン教室に通ってたことがあってね、それを知った私は対抗して別の音楽教室に入れてもらったことがあったのよ。理由がそんなだから私はすぐやめちゃったんだけど。令ちゃんはひと月は続いてたみたい」
「へえ」
 紅茶の湯気に顔をうずめた由乃さん、すぐに「私がやめたら、令ちゃんもやめちゃったけどね」と付け足した。なるほど、のろけ話でしたか。
 でも。バイオリンを構える令さまというのも格好いいかも。それを言ったらお姉さまも志摩子さんも、ピアノの前に腰掛けるさまが想像するだけでとても絵になって。やっぱり、その人となりにぴったり合った楽器というものがあるんじゃないかなあ。それとも、その楽器を練習していくにしたがって、見合った雰囲気というものが身についていくものなのかしらん。
 などと考えていると、いつの間にか向かいに座った志摩子さんがじっと見つめていて、「うふふふ」と笑いかけられてしまった。しまった、また顔に出ていたか。
「なにをうっとりしてるのよ。・・・でも、そうね」
 お姉さまの言葉にわずかに意地悪な空気が混じる。おそるおそる様子をうかがうと、美しく目を細めた笑顔が返ってきた。前紅薔薇さま、水野容子さまを彷彿とさせる表情。祐巳のどこかで警報が鳴る。
「な、なにをさせるおつもりですか?」
 言ってから墓穴を掘ったことに気づいた。「何かさせる」なんて一言も言われてないではないか。
 けれどその答えに、祥子さまは満足そうに微笑んだ。
「そういえば、乃梨子ちゃんの歓迎会って、やってなかったわよね?花寺の学園祭が終わったら、やってみましょうか」
「ま、まさか」
 何故か由乃さんが反応した。「祐巳さん、余計なことを」なんてひじ打ちまで入れてくる。そこでやっと祐巳にも祥子さまの次の言葉が予想できた。発言と同時ではあったけど。
「そうね。つぼみ二人による余興も交えて。祐巳?なにかそこで演奏なさい」
「ええええええ〜っ!?」
 一人盛り上がった祐巳の前で、当の乃梨子ちゃんがまた平然と挙手をした。 
「祐巳さまにお似合いの楽器って、なんでしょう。もしくは、演奏してもらいたい楽器とか」
「ギター」
 由乃さん即答。なんでギター?と思う間もなく、
「アコースティック。弾き語り」と付け足す。
「じゃあウクレレ」
 あの、志摩子さん?思わず顔を見たけれど、例によってにっこり微笑まれてしまった。
「鼓」
 ・・・乃梨子ちゃん、何を期待してるのかな?
「トライアングルとか、似合いそうよね」
 お姉さま、なにか傷つきます。
「カスタネット。両手にはめて、踊りつき」
「パイプオルガン」
「マラカスなんて、どうでしょう」
「名前知らないけど。ほら、アルプスなんかで吹いてるでっかいホルンあるじゃない?」
 ちなみに言った順番は前と一緒。みんな、楽しんでますね?
「わかりました。それでは」 
 ここはこのノリにひっかけて、突拍子もないものをあげて、誤魔化してしまおう。
 およそ調達できないようなものにして。――そんなつもりで口を開いた祐巳だったが、祥子さまにはお見通しだったらしい。
「祐巳?小笠原の家に用意できない楽器はないから、なんでも言ってちょうだいね?」
「・・・・・・・・もう少し考えます」



 あわただしく二週間がすぎ、花寺の学園祭の手伝いも無事終わった土曜の放課後。
 「乃梨子ちゃんを歓迎する会」が薔薇の館にて開催された。
 自身の発言のとおり、いつの間に練習したのか、「アコースティックギターでの弾き語り」を披露した由乃さんに続いて、祐巳が机をくっつけてこしらえた舞台にのぼる。
 手にしたのは「のこぎりの歯」。
 片方の端をバイオリンのように体に押し付け、やや湾曲させた側面を太鼓のばちでたたきはじめる。
 びょんびょん。
「お〜ま〜え〜は〜ア〜ホ〜か」
・・・びょんびょん。





<了>


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