コウノトリは飛んでいく
  〜どこか遠くのリリアン






 秋の半ばの土曜の午後。久しぶりに先代の薔薇さまたち3人が薔薇の館に集まった。
 目的のひとつであった聖と乃梨子の顔合わせもとどこおりなく済み、無目的なお茶会へと移行していくうちに、テーブルをめぐる緊張もだんだんほぐれ、話題もくだけていく。
 懐かしい顔ぶれとの懐かしい会話。そんな中、話の雲行きに年かさの女同士の気安さが入り込みはじめたのは、やはり卒業生たる前薔薇さま三人の影響によるものなのか。
 いつの間にか現行山百合会のメンバーも、それなりの関心と興味をやや紅潮した頬に示しつつ、「その」話題に気乗りし始めていた。
 つまりは。保健体育の話題である。



1.紅薔薇
  視点:佐藤聖

「コウノトリが運んできてくれるのよね」
 すざっ。
 祥子の何気ない一言に、座がさぁっと静まり返り、ついで一人の人物に視線が集中する。
 皆の期待を一身に集めた祐巳ちゃんが目を白黒させて、助けを求めて一人一人の顔を見回したあげく――蓉子のところでがっくりと撃沈。
 横から見るとさわやかに微笑んでいるだけの蓉子、いったい祐巳ちゃんの目にはなにが見えたのだろうか。
 おそるおそる、祐巳ちゃんが上目遣いに祥子を見やって、
「あの・・・お姉さま」
「なにかしら、祐巳」
「いくらリリアンといえど・・・保健の授業はありますが・・・?」
 瞬く間に祥子の顔に血がのぼる。その口が開く前に、祐巳ちゃんがひっ、と背中を丸めた。
「ししし失礼ね、私だってモノのたとえだと言うことくらいわかっているわよ!」
「あ、あうう。ごめんなさいお姉さま」
 しゅーんと縮こまった祐巳ちゃんの隣で、紅茶のカップから口を離した蓉子が、
「なら、祥子。あなたは男女の肉体的性徴の違いを正確に把握しているのね?」
「お姉さま、私を侮辱なさる気?いくら男嫌いだからって」
「それは重畳」
 優雅にお茶をすする蓉子の向こうで、祥子が祐巳ちゃんの袖をひく。耳元に口を寄せ・・・お、祐巳ちゃん赤面。祥子、唇の動きが見えてるって。なになに・・・?ちょっと祐巳、確認なんだけど。祐巳ちゃんコクコク。男の人ってアレでしょ、腰から下に・・・祐巳ちゃんの顔色は緊張と期待と不安の天下三分の計。・・・毛がびっしりと生えているのよね。
 びしっ。祐巳ちゃん固まる。
 あら?ねえ祐巳、違うの?「そんな・・・人もたまには」かろうじてそう言った祐巳ちゃんは雄々しかった・・・けど。そうよね、それでその毛の一本一本を自由に動かせるんでしょ?ぐりぐり唐草模様を描いたりできるのよね。器用な人になると「キ○ィちゃん」の顔とか描いたりして、女の人の関心を買おうとするのよね。まったく汚らわしいわ。・・・あら?祐巳、祐巳?どうしたの、固まっちゃって、何か間違った、私?それとも、ああ、祐巳の弟さん、祐麒さんなんかはもっと凄いの?「キテ○ちゃん」どころか「グ○コのマーク」、いいえダ・ヴィンチの「最後の晩餐」すらも体毛で表現できてしまったりするのかしら?そうなの、祐巳。祐巳ったら?返事をなさいな。
 気が付くと、澄まして目を閉じている蓉子の額にも青筋が浮いている。
「・・・どうでもいいけれど祥子。あなた、男性との初めての夜だからって、私を呼んだりしないでね。手取り足取り教えるなんて私は御免だから」
「えっ」
 大真面目に祥子はうろたえた。教えてもらう気だったんかい。謎の仕切り屋が横から見てる初夜なんて、どんな男が相手だったにせよ嫌だろう。
 しばしうつむいていた祥子、またすぐに祐巳ちゃんの袖をちょいちょいと引いている。・・・ちょっと祐巳、あなたは来てくれるわよね。でも私にはそんな、お姉さまに教えるなんて。大丈夫、あなたは傍にいて、私の手さえ握っていてくれればいいの。・・・代わりにあなたの時には私が行ってあげるから。え、そ、それは遠慮したい・・・ですお姉さま。
 カタカタカタ。テーブルの上の蓉子の手が小刻みに震えている。
 ・・・なあに祐巳。わかったわ、あなた嫉妬してるのね。あ、いえそんな・・・ことは。・・・うふふ・・・いいのよ安心なさい、ちょっとあなたを試しただけなのよ。私の男嫌いは知ってるでしょうに。女同士でも子供が出来た例が、年間30前後は報告されているのよね。・・・そ、そうなんですかお姉さま。そうよ、手をつなぐ回数2万回、キ、キスならば5千回を越えると妊娠する可能性が生じるという学説もあるわ。さ、ほら祐巳、顔をあげなさい?記念すべき一回目いくわよ。・・・え、あの、その、ううう・・・。
 さすがは気配り祐巳ちゃん、蓉子の剣幕に気づいたらしい。ちらちらと祥子と蓉子の間で視線をさまよわせているが、彼女の鈍ちんなお姉さまは、一向に妹の配慮に気づかない。・・・あ、蓉子が立った。
「祥子」
 あの祥子が聞いただけで青ざめるような声だった。



2:黄薔薇
  視点:水野蓉子

 はぁっ。どこで育て方を間違ったのかしら・・・。
 階段の下に連れ出した祥子にさんざん説教したあとで部屋に戻ると、件の話題は黄薔薇の三人に飛び火していた。
「そうだねぇ、私だったら・・・」
 令が乙女チックに指を組み合わせ、うっとりした眼差しで宙をみつめている。
「自分の子供の名前には・・・男の子だったら『誠』って字を入れたいね」
「むー、何よそれ。私そんなの嫌だ」
 令が言い終わるより先に、由乃ちゃんが机を叩いて立ち上がる。
「私だったら『剣』か『覇』、よ!ぜったい譲れないからね、令ちゃん!」
 ・・・力が抜けたのでとりあえず手近の椅子に座り込む。女同士で子供、はデフォルトなのね、あなた方姉妹は。
 そもそも、どっちが産む役なのかしら。
「『真』もいいと思うんだけどな・・・」
「だめ!普通すぎるって、だったら『炎』よ!」
 うー、と睨みつけた由乃ちゃんの前で、令がふっと相好を崩した。
「まあまあ。姓名判断とかもあるしさ。二人でゆっくり決めればいいじゃない、由乃」
「令ちゃん・・・そうだね、仲良く決めようね」
 額なんかくっつけて。すっかり和解モードの二人をしかし、許してくれない者がいたのである。
「女の子だったら、『ちさと』とかってどう?」
 それまで関心のないふうを装っていた江利子が、横からぽんと一石を投じたものだから。
「ちさと・・・・チサト・・・」
 みるみる由乃ちゃんの表情が変わっていく。私はその名を又聞きで知っていた。まつわる事情についても、それが由乃ちゃんのスイッチを入れる話題であることも。
 しかし令はまったく気づいた様子もなく、
「ちさと?そういえば、剣道部の後輩にいますよ、その名前の子が」
 見事に姦計に乗ってしまった。
「あら?そうなの、どんな子なのかしら?」
 江利子。・・・絶対知ってて言ってるわね・・・。
「ええ、がんばりやさんですよ。練習も熱心にこなすし、後輩の面倒見もいいし。うん、気持ちのいい子ですね。たまに差し入れとかもしてくれるし」
「あら、そうなの?じゃあ名前いただいても良いかもしれないわねえ」
「え?ああ、なるほどぉ。・・・ちさと、ちさとかあ。いいかもしれませんね、女の子らしい名前だし」
「そうね、素敵な名前ね。・・・うふふふふ」
 笑いながら江利子が席を立つ。カップを置きに行くように見せているけど、あれは逃げだ。巻き添えを食わないための。撤退。脱出。
「あはははは・・・あ?」
 呑気に大口開けて笑っていた令が・・・凍った。からくり人形のようにぎくしゃくと、江利子のいた側から反対に首をねじ向ける。
「れ〜い〜ちゃ〜ん〜?」
 炎の気迫をまとい、首のロザリオに手をかけた由乃ちゃんを押しとどめ・・・。
 灰になる寸前の令を叱咤してこの世に踏みとどまらせ・・・。
 なんとかなだめすかして二人を落ち着けるのに、私は祥子を叱りつけたことで目減りしていたエネルギーを完全に使い果たしてしまった。
 もう髪の毛一本だって動かせない。



3:白薔薇
  視点:鳥居江利子

 蓉子はテーブルにうつぶせて眠り込んでしまった。こうなると、お目付け役のいない聖の独壇場になる。
 それまでテーブルの一角でおとなしく小声で会話していた妹たちの背後に、聖が足音を忍ばせて忍び寄っていく。
「の〜りこちゃ〜ん」
 例によって抱きついた。ル○ン三世か、あんたは。
「きゃ!?や、やめてください!」
 クールと聞いていた乃梨子ちゃんもさすがに驚いたようで、キッと聖を睨みつけ、腕を振り払ったが、すぐに気遣わしげな顔つきになって隣の志摩子の様子をうかがう。
 よくできた妹だ。自分には馴染みがなくとも、聖は志摩子にはかけがえのない姉。邪険にしてしまったことで志摩子を傷つけなかったかと思っているのだろう。乃梨子ちゃんの配慮を知ってか、志摩子は黙ってやさしく微笑みかえした。
 二人の様子を満足げに見下ろしていた聖だったが、
「ところで〜。キミたち二人は知っているのかな〜?赤ちゃんがどうやってできるのか、ってことも」
 二人の間に顔を突っ込むようにしてにんまり笑う。それじゃ普通にオヤジのセクハラだって、聖。
「あ・・・・当たり前ですっ」
 顔を赤らめて乃梨子ちゃんが即答する。どうやら志摩子に答えさせたくなかったらしい。
「へえ、そうなんだ〜?じゃあお姉さんに教えてくれるかな〜、詳しいところまでずずぃと」
 すでに聖は「ただの」オヤジから「酔っ払いの」に移行しつつある。
「だから、そのっ・・・」
「お姉さま、まさか」
 横から口を出した志摩子の声が存外に真剣だったから、聖と私はそろって目を瞠ってしまった。若木のようにぴんと立ちつくした志摩子の様子に、さっきまでのうららかな風情はどこにもない。青ざめた唇を手で押さえ、体をかすかに震わせている。
「まさか・・・大学のクラスメートの方と、その・・・何かあやまちでも・・・」
 いや志摩子、聖はリリアン女子大なんだって。
 あっけにとられていた聖があわてて顔をふるふると振り回す。
「ち、違う違う、志摩子考えすぎ!」
「いいえ、お姉さまはご自分の深刻なことはいつも冗談めかして仰るから・・・」
「い、いやホント軽い冗談なんだってば。・・・そ、そんな、私の下腹部にじっと視線を落とすんじゃなーい!」
 ついに志摩子は涙まで浮かべている。これは、聖?自業自得よね。
 あわてて「お姉さま・・」と立ち上がりかけた乃梨子ちゃんを抑えて、聖は顔を引き締めて志摩子に近寄った。
 こわれものに触れるように抱き寄せる。
「ごめん・・・志摩子。ほんとになんでもないから、ね?」
「あ、はい・・・私こそ、ごめんなさい・・・」
「ふふ、あなたはもうお姉さまだというのに。・・・駄目だよ?こんなことで泣いてちゃあ」
「はい・・・お姉さま」
 二人の様子を見ていた乃梨子ちゃんが、安心したように腰を下ろした。羨望の情がうかんだ表情はすこし寂しそうだったけど、聖を見る目にもうこだわりは感じられない。
 どうやら認めてもらえたようね、聖。
「お茶・・・入れ直してきますね」
 今はもう、満たされて微笑んだ志摩子が、ティーポットを手に流しに向かった。見送った聖が、さばさばと笑いながら乃梨子ちゃんの隣に座り込む。
「・・・なんですか、聖さま」
 覗きこまれた乃梨子ちゃんは無愛想に返事したけれど、声にはもう険はなかった。答えず聖は、指先でそっと切りそろえた乃梨子ちゃんの髪に触れる。相変わらず、ああいうことをやらせて聖ほど自然な人間を私は知らない。
「きれいな髪だねー」
「ありがとうございます」
「でもって、かなり剛毛だね」
「そう・・・ですか?確かに硬いかもしれませんが」
 言ってる間に聖は乃梨子ちゃんの頭に手を載せてゆるゆると撫ぜている。乃梨子ちゃんが嫌がる隙もないほど見事な流れ。また腕をあげたわね。
「うんうん。こりゃ、乃梨子ちゃんの将来の子供が男の子だったら可哀想かも」
「ど、どうしてです」
「だって、ハゲそうじゃない?」
 がっくりと、聖の手をのせたまま乃梨子ちゃんが顔をうつぶせた。
「何を根拠に、そんな」
「えー?なんか言わない?こういう融通のきかない髪質のひとって、逆にハゲやすいとかなんとか」
「だっ、大丈夫ですっ!」
「へえ。だってハゲって遺伝するっていうよ?お父さん大丈夫?」
「・・・っ!だ、大丈夫です!」
「じゃあ、お祖父さんは?」
「・・・・。お、お祖父さんはもういい歳ですっ!」
 ぺしぺしと頭を叩く聖に、乃梨子ちゃんは向き合っていきり立った。ひとしきり笑ったあと聖はやっと手を離し、
「うそうそ。ほんとは志摩子みたいな髪の方がやばいんだよね、男の場合はさあ。腰の弱いっていうか、細い髪だからさ・・・」
 からん。
 流しから聞こえてきた硬質な音に、口をつぐんだ聖と乃梨子ちゃんがそちらを見やる。
 またも青ざめた志摩子が、洗いかけのポットを流し台の中に取り落としたまま、濡れた両手で口元を押えておろおろしていた。
「し、志摩子?」
「どうしよう。そうよね、あれって遺伝するのよね・・・。そう言われてみれば、父の頭には一本も」
 皆まで言わせなかった。聖に乃梨子ちゃん、私はもちろん、ひとしきり争ったあげく窓際で黙っていた令と由乃ちゃん、下の階から祥子を連れてもどってきた祐巳ちゃん、それに眠っていると思っていた蓉子までが立ち上がり、志摩子にむけて指をつきつけて、叫んだ。
『あんた(志摩子、志摩子さん、お姉さま)のお父さま、坊主じゃない(ですか)の!!』

 
 それは、久しぶりの一体感だった。
 薔薇の館でのこの奇妙な唱和は、後日聞いた話によるとマリア像のところまで聞こえていたらしい。




                                         

<了>

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