〜「ホワイト・デーの悪戯」その3〜




「なーんだ」
 でも、由乃さんはまだふくれている。
「そういうことだったんだ」
 祐巳さんはすっかり立ち直り、にこにこと祥子さまに寄り添っている。
 薔薇の館に二階には、令さまも含め現メンバー全員が集まっていた。茶葉からゆっくり淹れた紅茶を、志摩子は全員のカップに注いでまわる。
 つい先刻までは大変だった。寄り添う祥子さまと志摩子を見た祐巳さんは、鞄も拾おうとせずその場で回れ右して階段を駆け下りていってしまったから。志摩子以上に茫然自失とした祥子さまは、今度はちゃんと大きな声で呼びかけた志摩子の声で我に返り、突風のように部屋を飛び出していった。ちょうど由乃さんが館の戸口にあらわれたから、祥子さまはなんとか祐巳さんに追いついたのだけれど、由乃さんを追いかけてやってきた令さまを含め、4人が階下で一斉に声高く話し出したから、一人二階に残った志摩子はただおろおろするばかりだった。祥子さまと令さま、それぞれ必死に自分の妹たちをなだめる台詞の中に思いがけない単語の一致を見るまでは。
『罰ゲームだったのよ』
 つまり。「ホワイトデーのカード探し」をやったのは志摩子だけではなかったのである。祥子さまは水野蓉子さまから、令さまは鳥居江利子さまから、それぞれ志摩子に届いた聖さまのものと同様な手紙を受け取っていたのだった。
 奇しくも14日の日曜日。相次いでリリアンをおとずれた既に「薔薇さま」と呼ばれる面々が、そろいもそろって「忘れ物を取りに・・・」と言ったことについて、守衛さんもさぞ奇妙に感じたことだろう。多少の時間の前後はあるものの、志摩子が探している時間には祥子さまも令さまもいたらしく、三人が校内で鉢合わせしなかったのはただの偶然だったらしい。
 そして、志摩子と同じくカードを発見できなかった二人にも、罰ゲームの「指令」が届いた、というわけだ。
「お姉さまったら。わざわざ家に訪ねて来て、だよ」
 と、令さまが言うのに、
「お姉さまは電話だったわ」
 と祥子さまが答えたところを見ると、「指令」の方法は三様だったらしい。
 令さまへの「指令」は『志摩子をお姫さま抱っこすること』
 祥子さまへの「指令」が『志摩子に抱きついて甘えること』
「つまりよ」椅子に斜めに掛けた祥子さまがいらいらと髪をかきあげて、「お姉さま方にまんまとのせられたのよ、私たちは」
「どうやら、そうらしいね」
 苦笑しながら令さまが、暗くなった部屋の明かりを点けにいく。
「志摩子の罰ゲームが令を転ばせる?それに私に首輪?だったかしら。わざわざ私たちの罰ゲームをやりやすいようにお膳立てまでしていたのよ。周到に、私たちみんなの行動まで予想して、ね。まったく意地が悪いんだから・・・」
 志摩子では令さまを転ばせるどころか失敗して自分が転ぶだろう、とか。志摩子が首輪を出したところで事情のわかった祥子さまは観念するだろう、とか。
「あ。祥子、途中で気がついたんだ」
「当たり前よ。志摩子はいつになく落ち着きがなかったし、おかしいとは思っていたけれど。ご丁寧に首輪、よ?この私に。・・・なにもかもそこで一気にわかったわ」
「また、そこで負けん気を出したんでしょ?祥子は。志摩子がここまで頑張ってるのに私が、ってさ」
「そうよ。・・・まったく、こちらは朝からいったいいつ志摩子に仕掛けようかって、気が気じゃなかったのに」
 軽快に令さまにからかわれ、腹立たしげにテーブルを軽く叩いた祥子さまは、それでもどこか楽しそうだった。赤くなった頬は決して怒りによるものではないと、隣の祐巳さんにはわかるのだろう。穏やかに落ち着いて、祥子さまのことを見ている。
「・・・たぶん、紅薔薇さまあたりが考えた、最後のお節介なんだろうね」
 令さまがテーブルの表に視線を落としてしみじみと言う。
「どういうこと?」
 由乃さんが聞き返すのに、向かいに座った祥子さまは黙ってうなずいている。志摩子にもすでにわかっていた。
 令さまと祥子さまへの「罰ゲーム」は、志摩子に対するものしかなかったから。4月から同じ薔薇さまとして立場では二人に肩を並べることになるとはいえ、やはり学年が一つ下になる、というハンデは大きい。由乃さんみたいにぐいぐいと自分を出していけるような性格ならそれでもよかったのだろうけど、一年近く山百合会の中でやってきて、いまだ他のメンバーとの間に埋められない隙間のようなものがあることを、志摩子自身強く認識していたから。
 ――それは。私の持っている秘密ゆえに。
「でもね、志摩子」
 まるで志摩子の心の内に反応したような令さまの声に、志摩子はどきりとして顔をあげた。
「別に、同じ薔薇さまだからって。片意地はって同じように振舞うことないのよ」
 ね、と令さまが振るのに、祥子さまもうなずいて、
「そうね。学年が一つ下っていうことは事実なのだから。なにもかも同じように背負い込むことはなくってよ」
「大丈夫よ、志摩子さん。ある意味お姉さまよりしっかりしてるじゃない」
「あ、由乃ったら。それあんまり」
 にやにや笑いかけてくる由乃さん。そして、
「志摩子さん」
 気づかないうちに傍に来ていた祐巳さんが、テーブルの上の志摩子の両の手を包みこむように握ってくる。見上げた祐巳さんの顔は可愛い緊張に張り詰めていて、美しい、なんて場違いにも志摩子は感じた。
「私も、がんばるから」
「ええ。・・・ありがとう」
 それでも、いつか。――志摩子は思った。この面々になら、私はたやすく自分の秘密を打ち明けられるかもしれない。
「――それにしても。広いわね」
 やや間をおいてぽつりと呟いた祥子さまの言葉を、みんな沈黙で受け止めた。気がつけば5人は、卒業した薔薇さまたちがよく座っていた席をはずして座っていたから。テーブルの一方のがらんとしたクロスの上に、弱くなった春の西日を押しのけて、蛍光灯の光だけが落ちかかっている。
「・・・そろそろ帰りましょうか」
 由乃さんの声を合図に、みんな帰り支度をはじめたところで、その由乃さんがふと思いついたように、
「にしても、お姉さま方がそろって探しても見つからなかった、なんて。そんなに難しいものだったんですか、カードの隠し場所を記した地図って」
 由乃さんの言葉に祥子さまと令さまが顔を見合わせ、ついでそろって志摩子を見たから、なんとなく予想しながら志摩子は鞄からその地図を抜き出した。
「これって・・・」
 覗きこんだ祐巳さんがあきれたように口をぽかんとあけている。
 まるで子供の落書きのようにいびつな四角形に区切られた枠の中には一言「リリアン」ただけ書かれ、校舎も何も書いてない中にぽつりと☆のマークがひとつ。
 枠の外のずっと左には三角形が一つ配置され、「富士山」。
 枠の下の方にはこれまた適当な曲線で区切られた部分があって、「東京湾」。
 見事に、三人とも同じ図柄だった。
「・・・・・」
 由乃さんも目を見開いて沈黙している。祥子さまが乱暴に地図を折りたたみながら、
「本当。意地悪い方たちよね」
 と、長いため息をついた。



 昇降口から見える空はすっかり蒼い夜の帳に包まれていた。
「結局さ。カードなんてなかったのかな」
 靴を履き替えてやってきた令さまがぼそりと言う。
「さあ。案外、あなたたちのその鞄の中に入っているとかではなくって?」
 祥子さまが祐巳さんと由乃さんに顎をふったのに、二人が思わず顔を見合わせたものだから、祥子さまも令さまと目をあわせた。
「え?なに、本当にそうなの?」
「ご、ごめんなさい!」
 あっさり祐巳さんが頭をさげて、由乃さんがきまり悪そうな顔になる。
「2,3日前に送られてきて。今日の放課後まではあげるな、って但し書きがついてたから・・・・」
「うん。でもお姉さま方の罰ゲームのことなんて、全然・・・」
 そこまで言った祐巳さんの、こちらをちら、と見た百面相ぶりがそれは見事だったから、志摩子は祐巳さんと由乃さんの配慮に気づいたのだった。
 履きかけた靴を脱いで、志摩子は上履きを取り出した。
「ちょっと、忘れ物をしました。みなさん、先にお帰りください」
「あら、待っていてもいいのよ」
 祥子さまが言ってくれるのに、黙って首を振る。祥子さまの後ろでは祐巳さんが”ごめんなさい”と口を動かしていた。
「そう?・・・それじゃ、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「ごきげんよう、志摩子さん」
 口々に言って昇降口を出て行く4人を、志摩子は上履きを手に提げて見送った。遠ざかる後ろ姿が見えなくなったところでふたたび靴箱にそれをしまい、置いてあった靴に足をいれる。
 昇降口を出た夕方の空気は、まだ冬の名残りを残していた。
 お姉さまの卒業してしまった志摩子の前で。それぞれのお姉さまに、カードを渡すところを見せるなんてことはできない。――祐巳さんの配慮が暖かかった。知らず熱いものが志摩子の瞳のおもてに盛り上がってくる。
(あれ?)
 これは、感謝の涙だ。ありがたくて出てくる涙なのに。
 どうして止まらないのか。どうしてこんなに胸がすぅすぅするのか。
 どうして――
(お姉さま)
 別れなければならないのだろう。
 薄墨を流したような夕闇が涙で流れて、いちどきにお姉さまの記憶がよみがえってくる。あれほど不鮮明に押し込められていたいくつもの思い出が、焼けつくような激しさをもって胸に押し寄せてきて、歯を食いしばった志摩子の喉の奥から、おもわず嗚咽が漏れた。このままではマリア像のところにたどりついてしまう。こんな時間でもあそこには人がいるかもしれない。本格的に流れ出した涙に、どうしようもなくて立ち止まった志摩子は、ハンカチを目許に添わせて思うざま水を吸わせた。額のあたりが腫れぼったくて、みっともない顔をしているのが自分でもわかる。
 足音の途絶えた並木道の奥は、木々の枝が細かな風にゆられてさわさわ音を立てるばかりだった。遠く聞こえた車のクラクションが、音源の移動にあわせて彼方に流れ去っていく。
 公孫樹の幹が鮮明に見えてきた。志摩子はまた歩きだした。
 マリア像のあたりにも人の気配もなく、先に出た祐巳さんたちはもうバスに乗ってしまっただろう。――やっと落ち着いてきた心を励ますように、マリア像にむけて手をあわせようとした志摩子は、そこで目にとまったものに「あっ」と声をあげてしまった。
 道からやや引っ込んだところに立つマリア像。ちょうど立っている志摩子の目の位置あたりでゆるやかに台座にかぶさった着衣の足元に、立てかけるように置かれている――白いカード。
 それがお姉さま、佐藤聖さまからのものであることを、志摩子は確信していた。
(でも、どうして。・・・朝にはなかったのに)
 震える手を伸ばし、カードをつまみあげた。薄く薔薇の模様の入った紙のおもてを眺め、一呼吸してからおもむろに開く。
 間違いなく。それはお姉さまの字だった。


”ごめん。マリアさまには、
 志摩子、あなたから謝っておいて。
 子供っぽいと思うけれど。一度だけ、仕返しみたいなこと、しておきたかったから。

 あのね。
 幸せだったのは、たぶん私の方なんだよ。
 でも志摩子は、もう大丈夫だよね。
 みんなを信じて。

 ありがとう。
 この学園で、私を見つけてくれて。”
 

 三回ほど読み返して、志摩子は顔をあげた。
 校門に続く並木道が曲がり角に消えるあたりで、見覚えのある髪型が動いて、さっと木立ちの向こうに消えた。志摩子の口元が勝手にゆるむ。どうやら、祐巳さんの配慮は、もうひとつあったらしい。
 カードを鞄にしまいこみ、さっきより早足で、志摩子は校門に向かった。
 涙の乾いたばかりの頬に、当たる空気が清清しい。
 私は今、どんな顔をしているのだろう。いや、どんな顔でもかまうものか。時間的にバス停で出会うだろう仲間がどんな顔をするのか、無性な人恋しさみたいなものが、ぞくぞくと志摩子の全身を包んでいる。
 海鳴りのような音をたてて、頭の上を暖かな風が過ぎていく。花を呼ぶにぎにぎしい春の宵が、今まさにはじまろうとしていた。




<了>

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