花寺学園の生徒の下校ルートは、校門を出たところで大きく二つに分かれる。大多数の生徒が利用している交通機関、私鉄の駅とバス停が、学校をはさんで正反対な位置にあるからだ。 バス停に向かう道は住宅街の中でさらに細分化する。その中でも一番人通りの少ない、ちょっと遠回りになるけれど雰囲気のいい小道にさしかかった祐麒は、にっこり笑いながら道の真ん中に立つ姉に出会って少なからず驚いた。 「ゆ、祐巳。なんで・・・」 さらに、「じゃーん♪」との祐巳の声とともに、祐巳に劣らずにこやかな顔をして電柱の陰から現れた小林の姿に、祐麒は本格的に狼狽した。 「ど、どどどど」 危うくお気に入りの道を工事中にするところだった。午前中までの授業のあと、生徒会室で一緒に雑用をしていたはずの小林がいつ消えたのか、祐麒にはさっぱりわからなかった。まして、二人がそろって現れるなんて。 どこで合流したのか、とか。 「ここで待ってれば祐麒が通るからって。えへへ、びっくりした?」 得意そうに笑う祐巳に並んで、小林が大げさに頭を下げる。 「こんにちは。お姉さまとはいいお付き合いをさせていただいております」 「この野郎」 驚かされた腹いせにちょっとだけ本気で小林の胸ぐらを掴んだ祐麒は、その目に浮かぶ色を見てすぐに手を離した。こいつ、まだ復活しきれてない。 「あのさあ、祐麒?なるべく人目につかないとこで、お昼にしない?どこかいいところ、ないかなあ」 「あ、お姉さん、それならば」 率先して小林が歩き出す。仕方なく祐麒もそのあとを追った。 「あのね。今朝私、急いでいたでしょう?」 「祐巳ちゃんと俺は、短い逢瀬を楽しんでいたのだよ。朝の限られたひととき、愛し合う二人にとって時間とはなんと貴重なものか」 「やかましい。それに大体もうわかったよ。文化祭のアレだろ?」 花寺よりリリアンに近い、ファッションビルの二階。廊下の付き当たったところにある小さな蕎麦屋。 細長い店内のさらに奥、4人がけのボックスシートに居を構えた。一見立ち食い系のラフな店構えからここにリリアンの生徒が来ることはまずない。花寺からも下校時にちょっと、というには遠すぎる。そんなことから、花寺生徒会での会食&話し合いに一、二度利用したことのある店だった。生徒会メンバーってのは結局なにかと人脈のある連中が集まっているので、クラスメートでなくとも声をかけてくる者が多くて、そういう意味では学校の近くの店などではゆっくり話ができなかったから。 小林と祐麒の丼はすでに空。猫舌の祐巳だけが、いまだふうふう言いながら細めにすくい上げた蕎麦を口に運んでいる。 「要するにアレだろ。リリアンの学園祭入場チケット獲得者のリスト」 「そう。あのシアワセな連中の名簿をね、ちょっとばかりお届けにね」 「そんなもん。俺に渡せばよかったのに。・・・つーかお前、ファックスで送るって言ってたじゃないか」 手持ち無沙汰でぶらぶらさせていた箸を、祐麒は小林に突きつけて言った。 「祐麒、それお行儀悪い。・・・ファックス壊れてた、って小林君言ってたけど?」 「お、お姉さん。それはまあそのなんというか、ねえ」 祐麒は大げさにため息をついてみせた。つまり、この前の花寺の文化祭『リリアンの陣』にてリリアン文化祭に入場できるチケットを獲得した生徒のリスト、それにかこつけての小林の抜け駆けだったわけだ。リリアン生徒会――山百合会メンバーを姉に持つ祐麒に渡せばすむところを。 「でも、なー」 心なしか乾いた声で小林が天井を仰いだと同時に、丼を傾け終わった祐巳が「ごちそうさまぁ」と満足そうに言って箸を置いた。 「なんだよ。小林」 「ユキチ。校門のとこでお姉さんと会った瞬間に言われちゃったよ、『小林君、最近花寺で何かなかった?』って。――つくづく凄いよな、お前のお姉さんは。祐巳ちゃんはさ」 ジュリエッタのこと洗いざらい喋っちゃったよ、と吐息を漏らす小林の横で、祐巳は微妙な表情をしている。いやそれはね、といいかけた様が顔に表れていた。今朝の今朝だったから、祐巳が小林に「祐麒の様子が変だから」そう聞くのは無理もないこと。どうやら、昨夜の祐麒の狼藉については、祐巳は小林には何も言わずにいてくれたらしい。 でも、と祐麒は思った。祐巳のこと、小林の浮かない感じをなんとなく読み取ったのかもしれない。隠し事のできないこの姉は、人に隠し事させないことでも才能があるから。 「・・・じゃあ。あらかた聞いたわけだ。ジュリエッタのことがどう花寺に飛び火したのか、ってことも」 横に座る姉に、祐麒はちょっと居住まいを正して向き直った。 「・・・うん。朝と、さっき祐麒に合流する前にね。大体」 「そうか」 ジュリエッタを轢いた犯人は祐麒と同い年の男子高校生だった。判明したのはつい二日前。飼い主の意向もあり、しかも未成年だったことで、大事にはならないらしい。 しかし、一部のマスコミが報じてしまったこと。そしてなにより、その生徒が所属する高校が、花寺からそう遠くない、そして花寺と競うほどの進学校だったことが、思わぬ影響を招いた。 「まだよくわかってないんだけどね」 えへへ、と祐巳が頭をかく。箸を持ったままで。弟の行儀を言えたものではない。 「出ましょうか」 小林の声に、祐巳が手を伸ばしたレシートをさっと奪い取り、祐麒はレジに向かう。 『ムシャクシャしてて』 ジュリエッタを轢いた男子高校生のコメントに、どれだけの意味があったのかはわからない。 しかし、過剰な反応はあった。 つい昨日のこと。つまり祐麒が祐巳にクッションを投げつけた日の朝、花寺では臨時の全校総会が開かれた。生徒会長である祐麒にも直前までまったく何も知らされてはいなかった。 「それが気に入らないわけじゃ・・・ないんでしょ?」 小林と並んで歩く祐麒の背中に、祐巳が声をかけてくる。もちろん。 それでも釈然とせず講堂に並んだ祐麒たちの前に、いつもより居丈高な生徒指導の教師が現れて言ったことといえば。 ――間違ってもこういうことをしないように。未成年といえどこれだけのことをした場合に適用される罰則はコレコレでかくかくしかじか。 「進学もやばくなるし、将来にも傷がつく、とかそんな話」 小林が言葉を継いだ。 生徒たちはとても静かだった。ものの数分で教師の話は終わり、解散となった。 「だからな。もう済んだことなんだ」 「うん」 後ろから来た車をやり過ごし、小林と祐麒に並んだ祐巳が、そのまま二人を追い越す。 腰を弾むように動かして振り返る。女の子だなあ、と祐麒は思った。そこで祐巳と目が合ったから、ちょっとあわてた。祐巳は後ろ向きで歩きながら、祐麒の顔から視線を外さない。祐麒はなんだか、観念したような気分になった。 「ハナから俺たちのことを信じてないみたいな言い方でさ」 「うん」 「たとえ俺たちに何か考えさせようとしたにしても。ただ全校生徒の前で言えばいいってものじゃない」 「うん」 「ほんとに向き合わなきゃいけないことって、もっと別にあると思うんだよ。うまくいえないけど、なにか身代わりにして問題が解決したようなフリをするのって、よくないというか・・・」 「「うん」」 あげくに小林が祐巳と同時に相槌をうったから、 「お前ら!からかってるだろ!」 頬に血がのぼって赤くなるのを感じる。目のやり場に困って、とりあえず足元のアスファルトの乾いたひび割れをなぞってみた。 「だから。・・・もう済んだことなんだよ」 つぶやいた声は祐麒自身にも聞き取れないほどだった。緩やかな坂の途中で、祐麒たちは立ち止まっていた。視界の隅から、祐巳の黒い靴がゆっくり近づいてくる。 「祐麒」 祐巳の指先が、祐麒の肩に触れるか触れないかで止まった、 「泣いてもいいよ」 「だっ、誰が泣くかよ。この程度のことで」 小林の手前もあり、思わず祐麒は大きな声を出してしまう。 「うん、そうだよね。さすがは、男の子男の子」 「あのなぁ・・・」 からかうようにぽんぽんと祐麒の肩を叩いていた祐巳が手を止め、「でも」と言った。 「傷ついたんだよね、祐麒は。ね?」 声は震えていたし、少しも自信に満ちていなかった。祐麒を見つめる祐巳の表情は、昨夜クッションを投げつけたときみたいにな困惑が一杯にうかび、言葉を捜している風情がありあり。でもだから、祐麒にはわかった。 唐突に思考がつながった。 自分でもわからない暗闇を抱えきれず、通りすがりに犬を傷つけること。 同じ闇を生徒たちの中に勝手に見出して、乱暴に罰をふりかざすことで、かかわりない生徒たちの気持ちを二重に傷つけること。 そして、 そういったあり方に苛立ちを覚えつつ、本来それをぶつけるべき相手を探しあぐね、たまたま目の前にいた姉を傷つけることによって楽になろうとすること。 同じことだった。少なくとも、同じ穴にはまった後味の悪さだった。そういうことだったのか。・・・新鮮なやりきれなさが冷え冷えと祐麒の中を支配していた。 「ごめんなさい」 「な、なに?」 いきなり頭をさげた祐麒に、祐巳はあわてふためいてバンザイした。 少なくとも、気づかずにいるよりははるかにマシだったから。たぶん鏡のような祐巳の表情を通り抜けることで、自分の気持ちが見えたに違いない。――頭を下げる心地よさを祐麒が感じていると、 「俺も、ごめんなさい」 隣で小林も頭を下げたものだから。 「なんだお前、なに便乗してんだよ」 「うるせー、ユキチだけ頭下げるなんてずるいじゃん。仲間に入れてくれよ」 「訳わかんないこと言うな」 「お姉さん独り占めすんなよ、シスコンだなあ」 「なにぃっ?」 「あーもう、ストップストップ!二人とも頭上げてよ!」 勢いよく顔を上げた二人の前で、祐巳はそれこそ眉毛を額のとこで一回転させたような渋い表情をしていたから、祐麒は笑い出してしまいそうになった。 (まあいい。これでいいや、今日のところは) けれどどういう思考をめぐらせたのか、天を仰いだり指を宙でくるくるさせたりしたあげく、いきなり爛々たる瞳をいっぱいにこじ開けて、祐巳は祐麒と小林に指をつきつけて叫んだのだった。 「わかった!何も言わずにこの姉についてきなさい!」 |
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